夜/夢のはなし
夜。よし今度から料理を上手くなろう。明日からやろう。そうしよう。
まるで夏休みの宿題をやろうとする小学生みたいな言い訳をしながらヴァンダナはサンドイッチに齧りついた。それでも手は休めず、キャンパスに鉛の線を一本一本刻んでいく。
千円のシャープペンをくるくる回しながらヴァンダナはメカのデザインに没頭していた。飽きもせずただひたすらに線を引いては考え、線を引いては考えのアクションを繰り返す。
ごきり。
嫌な音が骨を伝わり耳に届いた。落ちるシャープペン。凝りきった右肩が限界に達したのだった。
――今日はここが潮時か。
両肩をぐるぐる回してほぐしながら椅子にもたれかかる。
―幸せって何さ?―
―日常で感じる幸せとは何さ?―
――なんじゃらほい?
どこからとも無く聞こえてきた問いに対し、ヴァンダナは無常にも広辞苑を引っ張り出してきた。
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“仕合”
@めぐり合わせ。機会。天運。
Aなりゆき。始末。
B(幸とも書く)幸福。幸運。幸い。
“幸福”
満ち足りた状態にあって、幸せだと感ずること。
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なるほどなー。誰彼と無く呟いて、そして考える。
心が満ち足りている状況とはいかなる時か。
ふと、井戸端と呼ばれる場所での出来事を思い出す。
毎週土曜日には顔を出し、お茶をすすりながら常駐している。
誰も来なければまったりと過ごし、誰かがやってきたら他愛の無い雑談をする。話す内容は世間話から国内の事、果てはイベント関係まで何でもござれだ。
ただその瞬間、本当に他愛の無い雑談であれど心が満ちているような気がするのだ。いや、満ちている。確かに満ちている。
私のメカ好きというのは、ただそれをつなぐ枝なのかもしれない。
膝の上に猫士のドミニクが乗ってきた。いつのまにやら入りこんでいた猫士で、気づいた時には我が物顔でこの部屋に住み着いている。
時計を見やる。午後8時。今日の曜日は? ――金曜日。
「ま、散歩にはいいかな。うん」
ドミニクが頭の上に飛び乗る。重い。重いぞ。太ったな!?
「よーしユーも私と来なさい。運動不足は体にわるいぞーっ」
わきわきわきわき。怪しい手つきで迫るヴァンダナと後退するドミニク。
交錯する視線と視線。火花が、散った。
ヴァンダナは夜道を歩く。頭にはドミニクがのっかっていた。
猫士に負けた。顔文字よろしくショボーンとしているヴァンダナはちょっと涙が出そうだった。
高くそびえる摩天楼。人の行き来は激しいが、ここ最近はそれも落ち着いている。
初めてFEGという国の土を踏んだ事を思い出す。こうやって見る分には、かつての後影は殆ど無い。
変わり行く国。しかし自分は、あまり変わっていない。いつもメカを描いては次のメカを描く、ルーチンワークと言っても差し支えの無い生活習慣が固定されて久しい。
―幸せって何さ?―
頭の中であの言葉が半濁される。
ドミニクを目だけで見上げ、小さく呟いた。
「……この国に尽くすメカ技族であることだ」
言ってから顔を真っ赤にする。短絡的だなぁとドミニクが鳴いた気がした。うわぁ、恥ずかしい。黒歴史にしたいわっ。
気づけばいつもの井戸端の入り口に差し掛かっていた。声が聞こえる。聞きなれた声が。
自然と笑顔になりながら、ヴァンダナは挨拶した。
「こんばんは、ヴァンダナ@金曜日です。……まさかの金曜日出現だぜ!」
予想外の乱入者に井戸端は騒々しくなった。小気味よい騒ぎが、今日もFEGの一角に響いた。